中国妻日記

毎回入院のことを書いていても仕方がないので今回は少し自分の過去からネタを掘り起こすことにします。ツイッターでは現在進行形のことしか書けませんから溜まりに溜まった過去のネタはブログで発散することにします。

私は一時期中国人の孫だった時期があります。
というのも今は亡き私の父方の祖父(日本人)が中国人と再婚したからです。私が小学生、多分4年生のころだったかな、もともとの祖母(日本人)がガンで亡くなりました。祖父は仕事でよく中国に行くものですからそこで現地のブローカー(?)を仲介して中国人妻と出会ったのでしょう。ある日学校から帰ると祖父の家に呼び出され「昨日中国から連れてきてよぉ、これから一緒に暮らす○○○(中国人妻の名前ですがここではYとします。通名でちゃんと日本風の名前になっています。)と△△△(中国人妻の連れ子、こちらも同じく通名で私よりひとつ上の女の子です。ここではMとします。)んだからよぉ、おめぇら仲良くするっぺよぉ~?」と言われました。巷では国際結婚がにわかに流行していた時期でしたがまさかウチのカッパのジジイ(祖父のハゲかたがカッパのようだったのでそう呼んでいました)が中国人と結婚するとは…カッパは何をやらかすか分からないからその可能性は無きにしも非ずでしたが…(祖父についてだけでも100個は記事を書ける自信があります)

彼女らが祖父の家に来てから大きな変化が3つ起こりました。

1つは連れ子のMが私と同じ中学校に通い始めたことです。
勘弁して欲しかったですね。同級生から説明を求められることが多少ありましたが当時多感な中学2年生だった私は何も語ることが出来ませんでした。幸いMとまったく仲がよくなかったため(祖父の家にいた3年間余りで3回ほどしか会話を交わしたことがありませんでした)一緒にいるところを同級生に目撃されるようなことはありませんでした。

2つ目は祖父の家がものすごく騒がしくなったことです。
これは毎日夫婦喧嘩が絶えなかったせいでしょう。日本と中国で文化的なバックグラウンドが違う、祖父は60Y40代というジェネレーションギャップなどもあったのかもしれません。以前祖父が「Yがフライパンで殴りかかってきた」と話していたときは唖然としましたが。

3つ目は自宅の畑に正体不明の臭い植物が植えられるようになったことです。
田舎なので祖父の家と私たち家族の家が同じ敷地にあるのですが、とても日本で売っている種子ではありえない臭いを発する植物が畑を占領し、私が育てていた大根や白菜がいつの間にかその姿を消しました。一年を通して様々な種類の臭い植物が植えられ、我が家の畑は地獄と化しました。

そんなこんなでMは地元の私立高校に、その翌年私は県立高校に進学、高校になってからはまったくお互いを意識することなく2年間が過ぎようとした頃です。祖父が亡くなりました。いや、急にそうなったわけではないのです。YMが来てからどんどん顔色が悪くなり、節々の痛みなどを訴える機会が増えていたのです。私は畑に植えられていた異臭を放つ謎の植物、あれに事件の真相を解く鍵があると未だに思っていますが…

祖父が亡くなったあとは恒例の遺産争いがあり、なんやかんやで現在に至るまで数年間が経ちました。YMはどこぞの市営アパートで暮らしていると聞いています。いや、もう母国に帰ったのでしょうか。わかりません。

長くなってしまいましたが今回の記事で言いたいことは、国際結婚をするのはいい、ただ…ただ畑に臭い野菜を植えだしたら気を付けろ、ということです。

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