ネトウヨだった私

815日と言えば終戦記念日です。一昨年、去年は靖国神社に行って右翼のパレードを見物しましたが今年は骨ぼっきぼきなので病院で大人しく過ごしています。これだけ長く入院していると看護師からも顔を覚えられ、それゆえに避けられている気がしなくもありません。一刻も早く退院できることを願っています。

さて、終戦記念日ということで唐突に封印されていた記憶が甦ったので今回は私がネトウヨだった頃の話を書こうと思います。

私の高校の現代文の教師にMという人物がいました。授業自体はロクにやらないのですが(そもそも現代文の授業なんかに誰も期待してなかったので別にいいのですが)しゃべりが面白く、生徒からもそこそこ人気がありました。が、私は彼が嫌いでした。というのも彼は別の学校で教え子と結婚していたからです。完全に嫉妬です。高校を卒業した瞬間教え子と結婚したとのことです。ということは教え子の女子高生とおまんこしまくっていたということですよね?何なんですかねぇ。この世の不合理を一身に受けた気がします。

そんなMは日教組に肩入れしており(彼自身は組合員ではないとのことでした)、雑談をするたびに天皇制批判や自衛隊不要論、従軍慰安婦に対する賠償の必要性などを説いていました。私はもうとにかく彼のことが嫌いだったので、どうにかして彼を論破し、授業中に赤っ恥をかかせてやろうと画策していました。

そんなとき、いつものようにネットサーフィンをしていた私が出会ったのが2ちゃんねるの東亜板(正式には東アジアニュース速報+板)でした。それまで掲示板と言えば角煮(BBSPINKの半角二次元板)でエロ画像を乞食するくらいしか活用していませんでしたが、ここには高校一年生だった私が圧倒されるほどの情報量、そして選ばれし(主に無職の)国士たちが集まっていました。

それからというもの、寝る間も惜しんでスレを読みふけり、関連サイトをブックマークし、本を買いあさり、産経新聞を読みまくりました。今ではほとんどの知識が欠落してしまいましたが、東アジア情勢を語る上で欠かせない自衛隊や人民解放軍などの知識も必要だと感じ、軍事関連の本も読みました。

そんなこんなで数ヶ月が過ぎ、三学期に入りもう少しで進級という時です。毎度の如くMが従軍慰安婦がどうこうの話を始めました。もうこのタイミングしかない、そう思った私はハイッ!と手を上げ起立しました。「従軍慰安婦に対する賠償はもう必要ないと思います」と言い、そして高々と日韓基本条約における「韓国の日本に対する一切の請求権の解決云々~」を読み上げました。

静まり返る同級生、あぜんとするM、高揚感で顔を赤らめる私、教室は異様な空気に包まれました。

事態はMの「そ、そういう考えもあるのか…」という言葉、そして私がMにマンガ『嫌韓流』を貸すことによって収束しました。この戦いは私の大勝利で終わったのです。

その後大学生になり、ある程度リベラルな知識を身につけた後、就職活動で日本の名だたる企業から尽くお祈りされまくった私は日本が大嫌いになり今に至ります。

コメント

  1. 嫌いだった理由wwwww
    そして落ちの付け方。
    さらにひょろ君の過去の一端を知ることができ、
    大変面白い記事でした。
    え?暇?暇とか言わry

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  2. 同じ一橋ついったらーのじょーねつさんより文才ありますね^^

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  3. ひょろまさイズキングオブアルファブロガー

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  4. そんな高校中退するべきだなあ!

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  5. 病院の場所も分かったし
    ファミマあたりに張り込んで
    足を怪我した車椅子の少年を…
    ひょろ君、ようやく会えそうだわ…
    いきなり声かけるから心の準備だけしといてね

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